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そして、10月も過ぎてしばらく経った夜中、それは唐突にやってきた。 その夜、うみのは体を震わせていた。恐ろしさの震えではない、いつもの武者震いのような、闘う相手を見て戦闘意欲を増すキリングマシーンのような凶暴な感情。だが意識は保っているようで、カカシからの呼び掛けにはずっと答えていた。 「せん、せい?」 カカシの意識が一瞬うみのから外れた。その時を狙ったかのようにうみのは隠れ家から飛び出していった。 その時、カカシの後方から近づいてくる気配があった。この気配は見知った者のそれだった。とうとう距離を縮められてその姿を肉眼で確認できるまでにやってくると、カカシはその者に声をかけた。 「カラスっ、お前っ、確か緊急時は里内の子どもの避難場所への誘導の役目を宛てられているんじゃなかったのか?」 カカシの呼び掛けにカラスは立ち止まることなく走っていこうとする。何かいつもの様子と違うようでカカシは不安を覚えた。今はうみのを追いかけたいが、仲間の不審な行動を見逃すわけにはいかない。 「カラス、答えろ、どうしてお前がここにいる?」 立ち止まったカラスはいつもよりも研ぎ澄まされた冷たい殺気をカカシに向けている。邪魔をするなら殺すと言われているようなものだった。 「答えろカラス、場合によっちゃお前と一戦交えてでも止めるぞ。」 カカシの言葉にカラスは氷のように感情のない言葉を吐き出した。 「四代目が崩御された。」 そうだろうとは思っていたが、カカシはショックだった。これで、スリーマンセルの仲間、そして自分の先生までもが死んでしまった。 「そう、か。」 カカシの動揺にカラスは同情したのか少し口調を和らげた。 「すまない、お前に殺気を向けた所でどうにもならないのは分かっていた。だが、まだ一矢を報いることはできる。」 不穏な言葉にカカシは眉根を寄せた。 「どういうことだ?」 「四代目は自分の命をかけて自分の子に九尾を封印し成功させた。」 カカシは顔を歪ませた。なんと言うことを、我が子に封印を施すとは。里の長たる父を持つ者としての宿命か。あんなにも誕生を望まれていた子が、その苦役に身を捧げねばならぬとは。 「九尾を倒すならば今だ。何もできない赤子の体に取り込まれている今ならばこの手で殺せる。」 カラスの言葉にカカシはぎょっとした。 「待て、封印に成功したのならばその子に九尾の思念はないはずだ。四代目の封印術は人に害をもたらすような方法は取らない。」 今までずっと上忍師としての彼を見てきたカカシならよく分かる。あの男は自分を犠牲にすることは厭わなくとも、それが例え身内であろうと自分以外の味方に対して害になるような行動は取らない。ましてや我が子をそんな方法で今後も苦しませたりはさせないはずだ。 「カラス、お前は今子どもたちの避難の誘導をする任務を請け負っているはずだ。任務場所へ戻れ。」 「ならばどうしてここにお前はいるんだ。お前の任務はなんだ。」 「ある人の護衛だ。」 「その人物はどうした。」 「この方向に行ったんだ、だから追いかけていた最中だったんだ。本当ならばこんな所で時間を潰している暇などない。」 「はっ、俺と同じじゃないか。復讐したいんだよ、そいつもな。」 「違うっ、復讐なんかじゃないっ。」 はたしてそう言い切れるのかカカシには分からない。うみのの最近の行動の奇怪さ、そして禁術、うみのは隠している、何かを。だが、それでもカカシは信じたい。うみのは決して仲間を殺すようなことはしないと。例えその身に化け物を封印された者がいようとも。 「俺の両親が殺された。あの化け物に。」 カラスが小さく呟いた。 「俺がガキ共を安全な場所に連れて行っている間に2人とも殺されたんだ。あの化け物になっ!」 カラスに再び殺気がみなぎっていく。凄まじい負の感情だ。今までカカシと同行していたが、彼がここまでの強大なチャクラを持っていたとは知らなかった。カカシなど相手にならない、それだけの力量の差がある。 「カラス、だが、」 「くどい、これ以上邪魔だてするようならばお前からさきに潰してやるよ。」 「カラスっ、」 カカシの呼び掛けに答えることなく、カラスはカカシの腹に拳をめり込ませた。 ごほっと、呻いてカカシはその場に蹲った。骨はいかれなかったがこの一撃で体の神経を乱された。なんて奴だ、これではしばらくまともに動けない。 「カ、ラス、」 カカシはうまく動かない体をそれでも気丈に顔をカラスに向けた。 「安心しろ、すぐ終わる。お前にとっても九尾は憎い敵だろう?俺が仇討ちしてやるよ。」 カラスはそう言って去っていった。カカシは額に脂汗を滲ませながら、よろよろと立ち上がった。 くそっ、うみのにカラス、どうしてこんな時に限ってこんなにうまくいかないことだらけなんだ。 「カカシ、その体、どうしたっ。」 目の前には探していたうみのがいた。カカシはふう、と息を吐いた。とりあえず2つの難題の内の一つは解決できたらしい。 「うみのさん、あんたこそどこに行ってたんですか。いきなり隠れ家から抜け出して。今日は大人しく隠れ家に帰って下さい。里の様子が気になるのは分かりますけど。」 だがうみのは顔を強ばらせて首を横に振った。 「うみのさん、頼むから。」 「カカシに、言いたいことがある。だが時間がない。移動しながら話そう。」 うみのはカカシを抱えて走り出した。向かう先はカラスも向かっていた方向、すなわち九尾が暴れていた森の中だ。 「うみのさん?」 「カカシ、良く聞いてほしい。俺はこの世界の人間じゃない。未来から来たんだ。12年後の世界から。その世界に木の葉は存在しない。みな散り散りになって生活していた。こちらに来た最初の頃、草や虫ばかりを食わせていた時があっただろう。あれはそのまま俺の日常生活だった。食い物を買う金もない、だが盗むには忍びとしてプライドが許さない。だから誰にも迷惑のかからない、あんなもので腹を満たしていた。」 「どうしてそんなことに?」 カカシはうみのの言葉を疑うことはなかった。うみのはそれだけの条件の揃う要因をいくつも持っている。それにこんな時に冗談を言うような男でもない。 「分からない。だが九尾が木の葉を襲った頃から何もかもが裏目に出るようになってしまった。」 「九尾を封印された子どものせいだって言うのか?」 先ほどのカラスの言葉を思い出してカカシは抗言するべく口を開いた。あの子が諸悪の根元なのではない。だがうみのは首を横に振った。 「それはない。九尾を封印された器の子どもは、封印されたその日に殺された。」 カカシは目を見開いた。そんな馬鹿な、器を殺すなど同胞殺しもいいところだ。先ほどのカラスが殺したと言うのだろうか。だが四代目の護衛には暗部でも精鋭が付いている。殺気立って力を最大限に出したカラスであろうとその暗部たちを突破するのは難しい。ならば誰だ? 「誰がしたんだ。完璧な八つ当たりだ、その子に罪はないっ。」 うみのは黙っていた。だが、そうだな、と頷いた。 「この世界に来た当初、俺はまだその器を殺した奴と同意見だった。あれは殺して然るべき存在だったと、殺したのは正当な行いだったと。だが未来では木の葉の人々が苦しんでいる。だから俺はこの世界へ来てその原因を探ろうと思った。あわよくば九尾の出てくる前に九尾自体を始末してやればいいと思ってもいたが、体が弱くなっていて自分1人の力では無理だった。そこで四代目に話して退治しようと持ちかけたが答えは否だった。俺にも分からないが、どうやら尾獣を殺すことはできない約束事があるらしい。だがその為に多くの木の葉の仲間が死に至る。三代目と四代目は極力里への被害を最小限に食い止める方法を模索するという見解で俺の話しを片付けた。そんな受け身の体勢ではだめだと思い、自分で動こうとは思ったのだが、動こうにもあの小屋の周りには結界が張ってあって出られやしない。だからカカシに子供じみた嫌がらせまでした。料理ができないのは本当だったがな。」 「でも、それじゃあ、結界が解けて隠れ家から出て行ったのは、何故?」 それは、とうみのは口ごもった。 「器を殺すため?」 うみのはゆっくりと首を横に振った。 「さっきも言っただろう、こちらにきた始めの頃は、まだ同意見だったと。今ではその意見に賛同はしない。色々なことが分かったから。だから俺はそれを止めたいと思う。そのために動いていた。」 うみのの言葉にカカシは嬉しくなった。 だが、どんどん森の中に近づくにつれ、辺りは尋常では考えられない殺気が充満していった。九尾が封印されたと言うのにこの戦場さながらの殺気が止まないのは何故だ?カラスの仕業なのか?とカカシは眉根を寄せる。 「うみのさん、もしかしたらまずい状況かもしれない。俺の同僚が九尾の器の子を殺そうとしてるんだ。四代目を警護していた暗部の精鋭がいるからと楽観視してたけど、うみのさんの話しを聞けばそう楽観視もしてられないような気がしてきたんだ。」 途端、うみのは走るスピードを上げた。 「カカシ、そいつはなんて名前なんだ?」 「え、暗部だから名前はないけど、俺はカラスって呼んでた。うみのさんは知ってる?」 うみのは小さく頷いた。 「よく、知っている。」 うみのは跳躍していた木々から地面に降りた。そしてそこにカカシも降ろした。 「うみのさん?」 まだ目的地ではない場所で降ろされてカカシは少々戸惑った視線を向けた。 「ここから先は俺一人で行く。カカシはここで待っていてくれ。」 「それどういう事?」 「ここから先は危険なことになる。だから、」 「なにそれ、何のつもりだよ。死ぬつもりなの?」 カカシは未だよく動かない体でうみのの体にすがりついた。 「お願いだ、死なないで。頼むよ、自分を殺さないでくれ。俺たちこれからもずっと一緒だろ?」 いなくなるなんて耐えられない、もう誰も置いていかないでほしい、オビトもリンも、先生でさえも死んでしまった。けれどうみのだけは死んでほしくない。我が儘だって分かっている。そんなこと言うなんてどうかしている。でも言わずにはいられない、だって、気付いてしまったから。 「好きなんだ、あんたのことが、だから、」 小さくて、か細い声がその者の心境を語っているようだった。自信がなくて、でもどうしようもなくて、言いたくて、でも怖くて、そんな色々な思いがない交ぜになって零れた言葉。 「俺もカカシが好きだよ。」 「違うっ、俺はっ、」 うみのはカカシの前にかしずくとそっとカカシの頬を撫でた。 「この世界に来て、色んな事を学んで、知って、でも一番良かったと思うのは、カカシと出会えたことだよ。俺にとっても、カカシは大切な人だ。失いたくないと思うほどに。」 「でも、」 「だから、帰ってきたらまたカレー作るよ。」 「え、」 「帰ってまた、飯を食おう。そんで来年も再来年もカカシの誕生日にケーキを作るよ。あの隠れ家で。」 「本当?」 「まあ、きっと制約は出てくるだろうけど、それでも今まで一緒に暮らしてきたんだからこれからだって一緒に暮らしていけるさ。」 「じゃあ約束して、名に誓って。」 「ああ、この名にかけて約束するよ、カカシ。」 イルカはそっとカカシを抱きしめた。 「約束だ。」 にっと笑ったうみのの顔にカカシは小さな笑みを浮かべた。うみのは死ぬつもりじゃない、この男は嘘は言わない。だから信じている、待っている、ずっと。 「待っている、うみのが帰ってくるのを待ってる。」 うみのは頷くとカカシに背を向けて行ってしまった。
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